1-9
| 前にも書いたように、その頃はもうちょくちょく、家にいられないときにビデオを録ったりしていた。まだ保存するまでにはいかなかったけれど。 ……それにしても、「セーラー服」3スタ初公開のときは、家にいたのになぜだか録画して(いろいろと複雑な気持ちはあったけれど、結局、これはビデオ録らなきゃいけないぞ、そのうち見られなくなるから……というような気持ちにおそらく襲われて)、しばらく後まで保存しておいたはずなんだけれど、あのテープはどこへ行ってしまったんだろう。以降、大捜索を経てもそのテープがどうにも見付からない。8月の頭の頃にはまだ確実にあったことを記憶しているが、おそらくその後の夕ニャンが手違いで上に録画されてしまっているんだろうな。ともかく、今思えばあれは「保存録画」の起源、はしりだった。 高井から離れて番組の話ばかりになってしまったが、話を戻す。 この頃の高井は、目のイメージが強い。 ……とにかく、猫みたいな目をしていた。目の動きがグルリと回ってというような意味の猫の目ではなくて、まぶたや眉毛から目尻の部分までをも含めた目の周囲、いわば“目圏”の形そのものから来るイメージが“猫”だった。意識するまでもなく、そもそもからいたずら好きな猫、という感じも(単に私の勝手な連想かもしれないが)。……とにかく、高井の目は猫っぽかった、と。見開いて、まんまるくなったときでも、やっぱり猫の目。 高井はこの頃、いつでも少しのぼせたような顔の色をしていた。所々であんまり色の変化がなくて、全体的に白いことは白いんだけれども(肌の白さでは内海和子や、そして永田ルリ子と並んでトップクラスだった)、それでもどこかのぼせたような。その表情でもって、だいたいいつも笑っていた。スタジオでも、他のおニャン子たちのうしろのほうで、いつもただひたすらボケーッとしてヘラヘラ笑っていたし、なにしろ、お化け屋敷に行ってさえ、キャーと言いながら笑っていた。もっともこれは、今書いた笑いとは違った、もっとちゃんとした、文字どおり笑うときの「“へ”の字笑い」だったが。そしてともかく、高井が笑うと、まず最初にそれが問題の“目”に来る。というよりは、目そのもので笑っていた、というんだろうか。 ただし、この笑いは微笑みの場合であって、もっとちゃんと笑うときには、少し下を向いて、目を細く“へ”の字にしていた(この笑いでは、最後に正面を向いて細い目をキッと見開くことが多かった。それが、とっても深甚な、魅きつける魔力を湛えている)。さらに、最大限に爆笑するときは、やはり“へ”の字に、今度は目を完全に閉じてしまって、さらにその爆笑の過程の途中で勢いつけて顔全体が上を向いてしまうので、きれいな2つの鼻の穴がよく見えるようになった。 後の国生も、たしかに笑うと目に来ていたが、あれは言うなれば、まさに意識的に目に“来させていた”のであって、言ってみれば国生独特の“演技”の一環だった。その点、高井の場合は、笑い自体の震源地が目だった。だから、とってもしぜんな感じだった。しぜんな感じだけがよい、というのではない。国生にはそうでないことが似合っていたし、高井にはそれがあっていた、というだけだ。他に何をやるにしても、何も考えずにボォーッとしているときでさえ(そしてこの頃の高井は概ねボォーッとしていたのだけれど)まず第一に、高井は“しぜん”だったし。 とにかく、そんな目で、ちょっとのぼせた表情(これは後に、なくなってしまう……)で笑うものだから、一生懸命集中して見ている側にはたまらない。顔自体がまず傾けられていて、真っ直ぐに向かっていてもすぐにコロッと傾いてしまって、だから当然、目もいくらか傾きを持つ。向かって、右上がり。見るときはその猫の目で、斜めの、右上がりの視線で見るのだった、笑いながら。……その視線がまたあまりにしぜんなために、艶な、ドキリとさせる印象すら発散していた。 原宿の竹下通りを歩いていたときや「アイドルを探せ!」のときは、まだ化粧にも慣れていないせいがあったのかもしれないが、とくにそうだった。目尻のところの化粧が、また特徴的だったし。「ちょっとこれ、まずいかな、いいのかな」というようなニュアンスが意図することなくしぜんに込められた、それゆえに“艶”を醸し出す、クセのある目だった。一方で、よく言われるように、たしかにいかにも「田舎から出てきて、頑張って化粧しました」という感じのセンスの鈍さもあったから、私は当時、高井麻巳子の目、視線一つでずいぶん楽しむことができた。 「日直」で何かを読むときは、その目は極端に、“堂々と”といった印象を与えるほどに前方を向いていた。こいつ、度胸があるな、なんて思わせてしまうくらいに、目をしっかりとカメラに向けていた。それで時々台本やら何やらを見るために、ちらっ、ちらっと下を見る。極めてしぜんな一連の動作である。そうしてちらっと俯いたときの、今度は髪と表情が、またしぜんといろいろなことを語り始める。インフォメなどを読んでいて、途中で詰まりそうになって、ちらっと前を見て、また下を向いて「どうしようかな、わかんないな、わかんないけど……ま、いっか」という雰囲気。 本当に、何もとりわけ意図はせずに、ただなんとなくしぜんと振る舞っていれば、あらゆる場面で物事の方からとりあえず勝手に隣をすりぬけて、うまいところにうまく納まってくれる……高井麻巳子にはそういう素質があったのだろう。だから、高井麻巳子というのは結局、あんまり面倒なことには巻き込まれなかった。彼女自身はもちろん意識していなかったろうが。 声は、最初の方に書いたかもしれないが、透き通った“まるっきり無垢”な天使の感じでは決してない。無垢、と言えないこともないのだろうが、そう言うとしたら、玄米や精製前の原酒、つまり「粗」の部分が目一杯残された、それはやっぱり“クセのある無垢”だ。要するに、ソフィスティケートされては絶対にいない、ということだ。 普通にしゃべっているとき、その声は、ガラスとか水晶とかいうプリズム系のイメージでは全然なく、むしろスズとかブリキといった透明度の少ない反射を引き起こす鉄板系のものだった。本当は、シンデレラよりはオズの魔法使い(のドロシー)だったんじゃないかということ。極端に表現すると、どちらかといえば“かすれ声”(というんだろうか。むしろ“二重になる声”)に近いものが、部分部分に句点のように混じっていたし、イントネーションはいくらかなだらかな高原状の丘陵タイプのものが感じられるくらいで、ほとんどないと言ってもいいほどだが、中域やや高めのトーンと共にそれがかえってアクセントとなって、平板な感じにはまずならなかった。(この辺、うまく言えないが、声についてはまた後に触れることがあるかと思う) 根本的にはやせていて、姿勢もとっても良く見えた。水着になると、出るところは妙に出ていてグラマラスだったけれど、“おニャン子一”と言われた足の短さもあって、ちょっとバランスが悪かった。もちろん、水着でないときなどは、全体の印象はやはり、やせてすらっとしているふうに見えた。この辺が、不思議といえば不思議だが。 ……ともかく、本人はその“バランスの悪さ”、本人曰く「スタイルの悪さ」とやらをだいぶ気にしていたらしい。私から言わせれば、それはそんなに気にすることではなかったと思う。大変失礼な書き方で申し訳ないが、どんなに高井が嘆いたところで、バランスが悪いということを除けばどうにも一種の“高望み”的な悩みだったのだ。上に書いたように普段はむしろ細く見えたのだし、また「高井麻巳子だからいいんじゃない」ですべて済ませられる程度の問題だったし、それに、わが永田ルリ子さまが気にしていた文字どおりのスタイルに比べれば、少なくともその“細く見える”という部分では誇れると言えたろうからだ(永田さん、ごめんなさい)。でも、それが乙女心というもので、傍目には、高井麻巳子というのは乙女心の権化みたいに思われていたところもあったし、こんな可愛い悩みを持つのもまた仕方がなかったのかもしれないけれど。 スタイル……ということに関連して言えば、大磯ロングビーチや豊島園での水着姿(7月5、8日)はとくに、その黒と白の水着の色やデザイン自体の効果もあって、かなりなまめかしく、ドキッとさせられた。上に書いたような、のぼせたような表情と、目・視線・その周囲、それに、大きな胸。最早それは、“艶”を通り越して、“危険”すら感じさせるものだった。私には。 水着とかスタイルという、本人曰く「不名誉な」部分で登場してもらったついでに、永田ルリ子にもちょっとだけ触れる。ほんのちょっとだけ。 まず、声。インフォメなどでしゃべるときは、なんだかわざと平べったくしたような、中域から少し下の方へ向かうトーンの、“上目遣い”の不思議な発声をしていた。だから高井と反対で、極めてしぜんではなかった(といって国生のそれとも大いに、いや全然違う)。台本なり告知なりという文章を“読む”という行為を意識するからこそ、失敗してはいけないと思うからこそ、逆にしぜんとそういう声になったのだろう。 途切れずに、一色で変わらぬ低めの音でだらだらだらと続いて、その区切り区切りに銅色、飴色の音のアクセントが来て、「……の、……は、……で、……でした、……ます」とその部分はよく聞こえるが、あとの部分は全部がつながって聞こえた。それがまた、不思議な魅力でたまらなかった。つながってしまうのだが、その区切りのおかげで、間延びした一本調子には聞こえなかったし、早口とまではいかないが、スピード自体が結構あった。声質と同じで、やはり読むということに加え、「時間」をも意識するがゆえのスピードアップを図った結果に生まれてしまった、独特のしゃべり方だったのだと思う。永田ルリ子はお利口さんだったのだ。 視線も、声と同じような上目遣いをしていた。本来、上目遣いという言葉は言うまでもなく目のことを指すのだけれど、彼女の場合は声がまず、そうだった。だから、永田ルリ子について最初はずいぶん声と目の印象が強い。「アイドルを探せ」のときには、声に銅や飴の色のイメージはなく、もっとこもった声で、時々詰まってしゃべっていたし(間に泉のように湧き出る、尻上がりの「クフフフ」という笑いが挟まった。だいたいMC以外に普通にしゃべるときは後々までそういう声だった。これも彼女の声の二つの特色の一つだった)、顔自体もやや上を向いていて、あごの印象が強く、結構その年代のいかにも若い女子高生特有の「お行儀がわるい」感じだったのに。きっと、テレビに映るから「おしとやかにしよう」とこれまた意識したのかもしれない。……とにかく彼女は最初の頃、クッと唇をすぼめるとき以外、いっつも口を開いていた。 (……名誉回復のために言わせてもらえば、永田さんも、スタイル、決して悪くはなかったよ。上の部分は、高井麻巳子について話すために、むしろ涙をのんで書いただけ。少なくとも、7月大磯ロングビーチのハイネックのペパーミント・グリーンの水着姿は、ひいき目なしに、とってもすらっと見えて、素晴らしかった。美しかったデス。 スタイルがウリ、というタイプではなかったって、それだけのこと。だから、気にしないで、ネ) (つづく) |