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| そうして告白は続く。 この最初の最初の頃、私には高井麻巳子が、“一側面”としてどういうふうに映っていたか。 ……言葉もろくにしゃべらずに、高井麻巳子は、ちょっとかくれて、うしろのほうで笑っていた。 彼女はそもそも(というのはずるい書き方だが)番組の隅で笑っているタイプの子だったと、私は感じている。それも、同じように一般的に隅で笑っているというイメージの強い永田ルリ子とは、質も笑い方も根本的に違う笑いだし、もちろん他のおニャン子ともかなり違う。……「隅で笑っている」というこの言い方では、ちょっと誤解を受けてしまうだろうか。 「ヒソヒソ、えー、あらー、うそー、やだー、そうなのー」といった、噂話に付き物の言葉さえ伴わない、見ようによっては“白痴美人”(映画「恋する女たち」の中の高井のセリフにあった)そのものとでも思えてしまう感じのクセのある笑いを、他のおニャン子と話しているときもそうでないときも(?!)、爆笑でさえも音も無く静かに、高井麻巳子はしていたのだ。それをカメラがとらえて「ん、高井、なんだなんだ? 何話してんだ」と見ている私たちに思わせるような、そういう笑い手。 実際、あまり考えずに笑っていたんだろう。その部分がまた、「まみこは免疫がないからあぶない」と同年配のおニャン子についつい言われてしまう所以なのかもしれない。だからこそ、ふたりとも後には「陽なる陰」の存在と見られがちだったとはいえ(あくまで一般的に、である)、永田ルリ子の笑いとは、その実まったく正反対。高井麻巳子の、しぜんに出てしまうその笑いは、場所も場面も考えずに、常に一定の“無意識”の笑いだった。(次ページの写真は今話しているこの頃ではなくて、2カ月ほど後の7月のものである。参考までに=注:原文にはここに画像が挿入されている) それは、あまりにしぜんであって、見ている者にそれぞれが必ず持っている美意識の“枠”(排除の限界点)すら覚えさせないものであったろう。もし強引に、見ている側がそれに対して美意識の壁を立てようとしても、そのしぜんさは、不思議なようにすいすいと、そのせっかくの壁を通り抜けてしまって、そういう“枠”自体が意味を持たなくなってしまったろう。その意味でも、当然の如く夕やけニャンニャン初期からすでに私たちが遭遇している、途中で質が変わったとはいえ根本的には最後まで続く永田ルリ子の、笑うことにすら自信を持てないような“口を開けた”、それでいて恥じらいのこもった、「自己嫌悪」を源にしたといわれる笑いとは、高井麻巳子の笑いは違うというのだ。(永田ルリ子の笑いについて書けば、また長くなるので、ここいらで止めておく) 何しろ高井麻巳子は、しぜんだった。今までよくあったように「福井」を殊更強調するわけではないが、あくまで田舎出身で東京へ出てきたばかりの“オクテ”だったし、だからこそ「免疫がなかった」のだし、一方ではたしかにその部分から発せられた(それゆえちょっと危険な)好奇心というものが旺盛だったわけだが、やはり根のところは“耳年増的でない”がゆえの好奇心というものであって、その点、(千葉、埼玉といった首都郊外も含めて)都会育ちの他のおニャン子たちとは、似たようでいて根本的に笑いの質が異なるというのもまた当然の話であろう。 この高井麻巳子独自の「白痴美人」的な笑い方にもつながるのだろうが、彼女はまた、片岡鶴太郎や他のおニャン子から“無邪気にいじめられる”、つまりはからかわれるタイプの子でもあった。もちろんそれはマスコミに語られるような陰湿なものではなく、あくまで“好意的”という姿勢がそのまま現れたものだったが。 なにより高井麻巳子は、誰からも好かれていた。そして、こういう言い方はひどく意外に聞こえるかもしれないが、高井という子はおニャン子クラブに入ってからしばらく(私個人の意見としてはその後もずっと)、どことなく他のおニャン子のみんなにかくれるような位置に、なんだかわけもわからずにぼんやりとして、ヘラヘラと笑っていたりしたから、余計に“好意的”にからかってみるには格好の存在だったのだろう。 鶴太郎が河合その子の発言という形で「(高井の)髪がきたない」とか「万引きしてこい」などと高井に言った(5月30日)ことは彼の“芸風”でもあった。国生を「くになま」、樹原を「ジュバラ」、富川を「お富さん」と呼んでからかうなどしていたのも鶴太郎だったが、そもそも彼はこの年9月に番組を降板するまでずっと番組自体やおニャン子クラブのことはあまり把握しきれていなかったから、この事実はむしろ例外と言えるくらいだとしても、高井麻巳子はその頃、これまた本質的な部分で、常にみんなにからかわれていたように私は思う。 「私の実家は福井県 四人姉妹の自転車屋 どなたか養子に来てください」という後(86年春先)の「会員番号の唄」の歌詞も、一見平板なようでいて、やっぱり高井麻巳子に対する“無邪気なるいじめ”の精神が根底にある。他のおニャン子の「会員番号の唄」の歌詞を見渡しても、ここまでストレートに“事実”を並べた肯定的・順接表現に占められたものは少ない。多くのおニャン子の歌詞には否定語もしくは否定的・逆接表現が一部使われていて(「ありません」「けれど」など)、つまり図示すれば“ひねり”“ねじれ”のようなものが短い歌詞の中にもあったのだが、高井の場合は直線を3本引っ張ったような、実にまっすぐな歌詞だったと言える。それがどうしたと言われればそれまでだけれど、高井の歌詞が、どことなく他のおニャン子のものとは異なって、浮いた、殊更さわやかな感じがするのも、決して偶然ではないだろうと、私は思ってしまう。 また、同じ「私服時代」の頃、私には、高井麻巳子が赤とか白とか、せいぜいグレーの、そういう明るい色の服を着ていたという印象が妙に強い。 上に書いたようにビデオが残っていない時期だから、あくまで記憶をほじくり返しての印象。なにしろ昔のこと、その肝心の記憶もしっかりしていないし、もちろん4月から6月という季節的な要素も多分にあるのだが、ともかく、極端に、強引に言ってしまうと、彼女は東京に出てきて、当然の心境として背伸びをしようとしていたが、同時に、ヒラヒラチャラチャラの可愛い服を着て、まだ甘えていられる環境にもあった。……そしてそのことは、上の「(高井は)免疫がない」発言や「万引き」発言に代表される“無邪気なるいじめ”の問題とも、微妙に絡んでいる。 なぜか。……理由はともかく(つまり、理由などここでは重要ではないし、そもそもそんな本当のことはわからないが)、少なくとも、年頃や自分の出身地を鑑みたうえで周りの一見あか抜けて“都会慣れ”したおニャン子たちを見るにつけ「背伸びをしよう」「背伸びをしたい」とどうしても思ってしまうとともに、まだまだ甘えていられる余地と環境が、当時の高井麻巳子にはあったのだ。 「麻巳子」ではなく、「まみちゃん」などでもまだなくって、他の人たちの中の高井のイメージは「まみこ」そのものであり、名字で呼ばれることが多かった最初の頃も平板な「高井」(これはずっと後)や「高井ちゃん」(これはだいたいこの頃からだけれど、やっぱりちょっと後のことだ)などというよりは「たかいーっ(!)」というニュアンスで呼ばれて、周りも本人もそれで当然だと思えてしまうような雰囲気が。 彼女はマイペースで、ある部分で強い人間ではあったが、自分の、みんなに比べて“遅れている”部分を個性ととらえて開き直れるようなタイプの強い人間ではなかった。むしろそういう部分では弱い人間だったから、自分のペースを保ったままではあるが、必死に背伸びをしようとしていた。そして、そういうふうに頑張っている彼女の姿は少し滑稽で、それが周りからは、どうにも「まみこ」に見えてしまうのだ。 その背景には、具体的にいえば「制服」を着出して「セーラー服を脱がさないで」が発売され、20番・寺本容子、21番・五味岡たまき、22番・白石麻子(いずれも高校1年)辺りがどんどんと入ってきて、夕ニャンがようやく文字通り“高校生版”となり始めるまでのことだが、夕ニャン開始当初は事実上、「高井麻巳子」が象徴的に一番“年下”だったという事情がある。 言うまでもなく年齢的には「アイドルを探せ以前組」の新田やナカジ、樹原のほうが下であり、「以後」の富川も、高井のすぐ後に入ってきた城之内にしても2歳下だったから、この言い方には少し解釈が必要かもしれない。 ……たしかに新田たちは、高井麻巳子より実際の年齢は下だった。どれくらい下だったかと言えば、高井と違って新田やナカジたちが“本当の高校生であった”というくらい違ったのだ。 「世代の断絶」という言葉がある。もちろんおニャン子クラブの場合は基本的にみんなの年齢が近く、この言葉をそのまま適用すると大げさすぎるが、それでも14、5歳から18、9歳頃にかけての「1歳」という年齢の違いは、後の年代の生活からはまったく想像がつかないほど大きな“差”のように思えてしまう傾向がある。それでもまだ同じ高校生で16歳と17歳ならば、学年が同じというケースもあるわけで“差”は感じないものだが、それがたとえば高校3年と大学1年というような場合なら、事情も少し異なってくる。そこにはお互いがお互いなりの平面的なアイデンティティー(「高校生」「大学生」「高校卒業」などなど)をもって、お互いを際立って比較し合うとでもいうようなちょっと変わった流れが、概してごくしぜんに生まれてくるものだ。 これは、もちろんさほど大げさなものではないとはいえ、なんでもないいくつかの場面で、一種の「世代の断絶」を当事者自身が感じてしまうような“差”となって浮上してくる。話と無関係に単純に例を挙げれば、「まだ高校生だから」とか「もう大学生だから」(それぞれ肯定、否定両面からのアプローチの可能性を持つ)といったディスクールに代表されるだろうか。 ここで振り返って、高井麻巳子がおニャン子クラブに入り、“文春事件”の5人(1、2、3、7、10番)が去った後のこの集団の“学年”構成を見てみる。便宜的に番組開始2カ月の85年5月いっぱい、つまり「セーラー服を脱がさないで」のジャケットに写っている18番・永田ルリ子までの13人で区切ったうえで、当時すでに高校を卒業しており大学あるいはその他の場に本拠を持っていたおニャン子(名越の場合は事情がちょっと特殊だが、年齢からしてこの組に入れておく)は、8・国生さゆり(高校卒業1年目)、9・名越美香(一応“1年目”)、11・福永恵規(1年目)、12・河合その子(2年目)、13・内海和子(1年目)、15・立見里歌(1年目)、16・高井麻巳子(1年目)の計7人、一方まだ現役高校生だったのが4・新田恵利(3年)、5・中島美春(3年)、6・樹原亜紀(2年)、14・富川春美(2年)、17・城之内早苗(2年)、18・永田ルリ子(3年)の計6人となっている。 さらに、より限定して「4月に夕ニャンに出ていたおニャン子」としたなら、「現役高校生」は(17、18番を除く)たった4人ということになる。(“文春事件”の5人を含めてやっと「現役高校生」は多数派になる) その4人で、新田、中島、樹原の3人は、4月1日夕ニャン開始当初からおニャン子クラブに加わっていた、しかも夕ニャン前史の「女子高生スペシャル」からすでにかかわっていたという点で、年齢はともかく明らかに高井より“先輩格”となる(ちなみに新田は埼玉県上福岡、ナカジは都下多摩市、樹原は神奈川県川崎と、いずれも首都圏の出身)。また富川春美(千葉県市川)にしても、おニャン子クラブのメンバーではなかったとはいえ「アイドルを探せ!」でやはり4月1日から番組に登場しているわけだから、夕ニャンでの“経歴”は高井麻巳子より古い。 さらに、先程の「世代の断絶」ということを試しに持ち出すと、彼女たち「現役高校生」は「高校既卒組」からすれば単に1つあるいは2つ3つ年齢が下であるというだけでなく、まだ他でもない高校生であるというその“世代の明確な差”の存在が一種の免罪符の役割を果たして、当初からとりわけ強調されるべき“年下”という「規定」の位置とは若干遠ざかっていたとも言える。このことは、当時の夕ニャンという番組が、外向きにはオールナイトフジの“高校生版”という看板を掲げさせられていた一方で、(あくまで文春事件発生を前提とした「結果論」ではあるが)実際の“中身”では、その中心的役割がむしろすでに高校を卒業したひとたちの肩に背負われていたという事情が大いに関係してくるだろう。 たしかに、新田やナカジの存在がこれより以降クローズアップされてくるとはいえ、当時はまだ、何をやっても相対的にそれなりにおとなしく映っていたもので(とりわけ新田はそうだ)、夕ニャンにおけるおニャン子クラブの“顔”とでも言えるような存在はむしろ福永や内海、河合その子といった「高校既卒組」に占められていたのだった。 片岡鶴太郎は、ずっと後々まで、現役高校生も高校既卒組もみんなひっくるめて「高校生」ととらえ、区別していなかった(できなかった)フシがあるが、それでもなお、鶴太郎がやはり「オールナイトフジ」畑の人間であったことの宿命からか、最初の3カ月くらいに“安心して”遊べる、あるいは“安心して”からかえる対象は、偶然か「高校既卒組」に偏っていた。 「偶然」とは書いたが、これは決して偶然ではないと思う。彼はたしかに、本物の高校生の扱いには、まだ当初は慣れていなかったのだろう。みんなを「高校生」とひっくるめていたとはいえ、本物の高校生と、すでに高校を卒業している人間とでは、「世代」を持ち出すまでもなく明らかに雰囲気が違うもので、その点、日頃オールナイトフジで接しているオールナイターズたちと同年代の「既卒組」となら、ある部分で心やすく楽しめる雰囲気を感じ取れたのだと考えられる。 こういった複数の側面を持つ事情から、当時の中心であった「既卒組」に属する当のおニャン子自身から見て、また鶴太郎をも含めとんねるず、松本小雪(彼女は実は河合その子より年齢的には下だった)といった他の出演者から見ても、おニャン子クラブというものの中身が当の「既卒組」と「現役高校生」の二つに、その雰囲気からも無意識に分けられ、新田や富川の存在や行動がかなりの許容範囲でその「高校生」という枠に括られて済まされる半面、高井麻巳子という一番の“新米”の存在が、象徴的に最も“年下”の、ある種微笑ましいくらいに安心して“からかい”の対象としうる存在であるように映っていたのではないかと私が想像したとしても、それほど無理はないんじゃないかと思う。 とにかくそんなわけで、その性格や外見上の雰囲気、“福井の田舎”から出てきたばかりというよく言われる事情も相まって、当時の夕ニャンの主たる出演者にとって、高井は象徴的に一番“年下”だった。 少なくとも、そう見えた、と。 その後は例外的な24番・三田文代(広島駐在員)、32番・山本スーザン久美子と52番・鈴木和佳子を除いて一人として「高校既卒組」は入って来ず、新人おニャン子といえば「現役」高校生というのが当たり前になり、さらには中学生の「おニャン子クラブB組」までできてしまうような始末だったから、「高井麻巳子」というのは実際問題「最後の年下」とでもいえる存在だったのかもしれない。(三田の場合は夏休みの特別企画で地方にも駐在員を置こうという趣旨から、またスーザンはご存じの通りおニャン子クラブ史上最大の“ノリ”から合格したものだし、鈴木和佳子に関しては、「高校既卒」とはいえすでに最後の年の、最後の半年に合格した最後のおニャン子であり、しかも前のふたりとは異なって一応私と同い年……つまり富川やゆうゆとも同い年であるのだから) その点でも高井は少し“宙ぶらりん”な状態にあったのだ。 (つづく) |