序-8



高井麻巳子の最初に



 そして1994年の夏の終わりに、私は、おニャン子クラブ会員ナンバー16番・高井麻巳子について、こうして書こうとしている。
 私がこれから語るすべてのことは、結局のところは、言わば、みんな私の個人的な体験に基づいた、全くプライベートな個人的な考え、追想、述懐、“論理”である。
 私個人の根本的な下敷きが「夕やけニャンニャン」「おニャン子クラブ」「永田ルリ子」のみっつ……あるいは「夕やけニャンニャン・おニャン子クラブ」と「永田ルリ子」のふたつである以上、当然のごとく、私の立場には、私自身がごまかせない、はっきりとした私の立場なりの“論理”がある。それは極めて個人的な“論理”かもしれないが、人が何かを語ろうとしている以上、決して避けては通れない“足場”であり、誰でもがおそらくは持っているもの、持っていなければ誰も何も語ることはできないであろうような、“論理の足場”である。
 それゆえに、あるいは時に“事実”でさえもが極めて個人的なものにすぎないだろう。だから、この文章には何も普遍的な力はないし、もちろん“拘束力”なんて一切ない。当時の“ファン”の一般的な気持ちの集約でもない。あくまで私個人の問題であって、一般的な説得力は皆無であると思われる。ただ私と似たような立場の人、似たような体験をしてきた人、そういう人たちだけが、ある程度近いところまで理解できるという可能性を持った、まったくつまらないものにすぎないのだ。
 その意味で、これはエッセイですらない。むしろ「つぶやき」とでも呼ばれるほうにより近いものかもしれない。
 だからこそ、この文章の内容は、“一般的”にそれほど価値がないものと思える。とりあえずはそういう、なんということのない心づもりで接してくれれば、と思う。
 ただ、ひとつだけ大切かなと思えるのは、これがどんなに個人的なものであれ、少なくとも、これは「同時代」を「当事者」として駆け抜けてきた一人の人間の、文字どおりの「体験記」、生の目で見続けた「歴史」そのものではあるということだ。
 歴史は常に客観的な記述ではないということは、誰でもが知っているだろう。要するに、あえてそういう“大切”なものをこの中に求めるならば、とことんまで主観的ではあっても、「歴史の一証人」としての価値、それは、古今東西のあらゆる「歴史」の同時代に書かれたすべての書物、すべての言葉と同じくらいに「証言」としての価値はあるだろう。1789年にパリで生きていた、しかも一連の「時代」に民衆の側から「当事者」として参画した人が、数年後に「フランス革命」について書きあらわすように。

 私は別に、そのような「価値」を特別求めているわけではない。ただ、それは必然的についてくるという性質のものであるというだけのことだ。
 それより、私にとって、今このように文章を書こうとしていて、まず何よりも驚きかつ新鮮なのは、これだけ“永い”時間が経過しているにもかかわらず、いまだにこのような文章を書こうと思う人間が、この日本に存在していた、と、まさにそのことである。まるで、それが自分自身ではないかのように、私はその事実に何よりも驚くものである。そして、それは実は、とても素晴らしいことなのではないか、と。
 当たり前のことだが、一般論として、どんな運動、どんなムーヴメントと名付けられるようなものであっても、しばらく経って後にそれを“振り返る”人間がいなければ、どうしようもない。もし欲したところで、「歴史」にもなりはしない。
 「振り返る」という言葉、そして「歴史」という言葉は、誤解を与えてしまうだろうか。……繰り返して私は、決して「歴史」を求めているものではないし、この文章を書くに当たって、決して“振り返り”などしないのであるが、結果的に、それは「歴史」につながる性質のものなのだろう。それだけのことだと切に思う。

 加えて断っておくが、この「高井麻巳子」に関する文章は、それが意図した「歴史」でない以上、同時に決して意図した「夕やけニャンニャン通史」でもなければ「おニャン子クラブの概史」でもない。ましてや、当然のごとく「永田ルリ子」が主人公であるわけでもない。それらのみっつ、あるいはふたつは動かせない土台であるが、そのこととそういうこととはまた別の次元にあるだろう。もし同じ次元にあるとしたなら、私が「高井麻巳子」について書く“意味”など、まったくなくなってしまうだろう。
 それとはまた別に、まず最初に、そういう客観的な“資料”あるいは“史料”的なものを著すのに、果たして私のような「当事者」、しかもいまだに炎の消えていないと自覚している「同時代」の「当事者」が書くのが適切であろうかという問題がある。
 だから、私が「おニャン子クラブの概史」について語るとすれば、それはやはり資料的、年表的なものではない、極めて主観的、極めて個人的なものであるだろう。だからこそ、それは「歴史」とはいえないだろうし、その意味で私は「つぶやき」とでも言ったのだ。
 また、本当に心してもしそれを書くなら、まったくとんでもない大部になることが予想される。今の私に「百科事典」を作っている余裕はない。

 さらに、これが「高井麻巳子をテーマにしたおニャン子クラブ概史」でない、ということも強調しておこう。それこそ、数行上に「(高井麻巳子について書く)“意味”などまったくなくなってしまうだろう」と書いた私の正直な気持ちでもある。
 またそれと同時に、上に比喩したことは、私が「歴史」を書くということではなく、私が書いたものが結果的に「歴史」になるという意味の文脈から読まれるべきものだ。
 私が今、この夏この時期にとりあえず書いておきたいものは、もっとストレートに簡潔なものである。
 たとえ百歩譲って、私が意識して「歴史」を語ろうとしたところで、その「夕やけニャンニャン通史」「おニャン子クラブの概史」を、「高井麻巳子」をテーマにして語ることは、「総前文」にも書いた事情のとおり、少なくとも私の立場ではないのだ。
 それはむしろ私にとっての「永田ルリ子」が「高井麻巳子」である人がチャレンジすべき分野であり、私にとっては、もしやるとしたなら、まぎれもなく「永田ルリ子」の肩に担われるべきだというほうに属する問題だろう。「おニャン子クラブ」について語るに「永田ルリ子」をテーマにすること、あるいは「永田ルリ子」を語るに「おニャン子クラブ」をテーマとすることは、私にとって、共に必要にして十分な条件であると言えるかもしれないが(この言い方があいまいなのは、正確に言えばそれらは結局、共に同じ内容を示す可能性が大いにあるからだ)、「高井麻巳子」をテーマに「おニャン子クラブ」を語るのでは、私にとってやはり、必要かつ十分な条件とは言えないのである。まったくとことんまで謙虚な言い方をすれば、私にはその“資格”がない。
 だから、やっぱり、今ここで、この季節にあえて書こうと思ったもの、それは単に、「高井麻巳子」のことであるにすぎない。
 ……誤解しないでほしいのは、これは決して消極的、否定的、なげやりといった態度ではないということだ。
 むしろこれは積極的、肯定的、前進的なものなのだ。なぜなら私は上の言葉によって、私が「高井麻巳子」を、あるいは渡辺満里奈や新田恵利や国生さゆりや生稲晃子や我妻佳代や渡辺美奈代や福永恵規や立見里歌や宮野久美子を過小評価しているのではない。
 まったくそういうことではない。むしろ、読む人の立場に立って、書く側の私の立場を明確に、わかりやすく書いているだけの話である。私にとって「高井麻巳子」もその他のおニャン子たちも、すべて何にも劣らず大切であり、要するに好きなのであり、強情な言い方をすればその思いが誰かに劣るなどということは考えたこともない。私の心持ちとして、欲張りなようだがそれが素直なものであって、まさにみんな大好きなのだ。
 ただ、比べるとかそういう問題ではなくて、私にとって「永田ルリ子」はあまりに大きく、遠く離れて別の次元にいる、と、そういうことなのだ。
 私は限り無く肯定的かつ積極的である。あまり大人げのない突っ込みはやめてほしい。

 そんなような事情で、おニャン子クラブのことにすら、あまり触れないかもしれない。
 永田ルリ子のことにも、必要最低限にとどまって、やはりあまり触れないかもしれない。
 それらのことで、がっくりしないでほしい。
 当たり前のことなのだから。
 それらのことは、今でないとしても、いつか、私はまた、語ることになるだろうから。
 そして、もしこれらの言葉とは一見矛盾して、私が「高井麻巳子」を語るこの文章で、結果的にかなりの紙数を割いて「永田ルリ子」や「おニャン子クラブ」のことに触れたとしても、それもやはり“矛盾”とか“公約違反”などといった言葉で糾弾するのはやめてほしい。要するに、結局それらは、私がこうして「高井麻巳子」を語る上で、必要なことだったのだということだからだ。

 いずれにせよ、私の心持ちは、今回は何よりもまず、「高井麻巳子」のことを語るということでいっぱいなのだ。
 そう、少なくとも今は、私は「高井麻巳子」を語ることで、力いっぱい手いっぱいなのだから。

 裏を返せば、「高井麻巳子」も私にとって、やはりとてつもなく壮大なテーマである、という証明だ。
 ごく当たり前のことである。
 ……なぜなら高井麻巳子も、言うまでもなく、永田ルリ子と同じおニャン子クラブの一員なのだから。



 おニャン子クラブに、永田ルリ子にかかわるすべてのことは、今を昔をこれからを問わず、私にとって、何よりも大切なものなのだから。

(つづく)




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